JOURNAL

ジャーナル

2025年07月13日

コラム

アート作品を買うという喜びについて

先日、アート作品を買ったのですが、他の買い物とは、まったく違う喜びがありました

今回迎えたのは、小津航さんという30代の作家の油彩作品。白地の背景に、6つのリンゴと7つの影が描かれています。「on the ground」というシリーズの一枚で、小津さんが昔から何度も描いてきたモチーフ。少しずつ表情の違うリンゴたちは、かわいらしく、静かに、でも強くそこに“在る”のが印象的。

(大丸東京のギャラリーで小津さんの展示を拝見しました)


私はもともと、買い物が好きです。持ち物や身につけるものを新調すると、自分が少しアップデートされる気持ちになります。ファッションやインテリアを買うことは、手に入れたものを自分の一部としてインストールして、自分の世界を新鮮に表現する行為ととらえています。


でも、アート作品はちょっと違いました。作品は自分の一部にはならない。靴やアクセサリーのように“私に従ってくれる”ものではない。 むしろ、自分の世界観をまとったまま、こちらの生活の中にふいに現れる。それはあくまでも「他者」としての存在感を放っています

私はそういう存在に惹かれます。なんでも言いなりになるものより、意志やこだわりを持つ相手。その方が、関係性が面白くなるし、一緒にいるうちに、互いの世界が少しずつ混ざり合い、変化が生まれていきます。この作品とも、そんな風に生活を共にしているような感覚があります。


さらには、アート鑑賞のファシリテーターをしている私は、普段から作品を見て、人と語ることが多いのですが、この作品の前では、語るより、ただ一人で静かに向き合いたくなるんですよね。今日はこの絵が自分に何を語りかけてくるだろう、と耳を澄ませて。自分自身にじっくりと向き合う時間が生まれています。


今回の体験で発見したこと。それは、アート作品を家に迎えるというのは、「他者」を家に住まわせるようなものなのだ、ということ。だからこそ作品を選ぶとき、人によっては「好きだけど、家には置けないな…」ということが起きてきます。それは、性格が合うかどうかの問題に近いのかもしれません。好きだけど、ずっと一緒にいるのはちょっとしんどい——人間関係でもよくある感覚ですよね。

そう考えると、アートを買いたい人は「好きな作品はどれか」という観点に加えて、「家で一緒に過ごせる他者は誰か」という2段階で考えるといいのかもしれません。そうすれば、選びきれず悩むことも減るし、家族にギョッとされることも減るんじゃないかな。


アート作品を手に入れ、一緒に生活する喜びを、もっとたくさんの人に感じてもらえたら嬉しく思います。

(3年前に、初めてお迎えした興梠優護さんの作品は今もリビングに)

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